スローフード生産者世界会議に参加しての報告
 
テッラ・マードレ トリノ イタリア

小渡幸信 スローフード イタリア紀行 第1回
テッラ・マードレ・スローフード生産者会議にて

平成16年10月20日ー10月23日までイタリア・ピエモンテ州・トリノ市にてテッラ・マードレ・スローフード生産者会議が開催されました。その会議には世界130カ国の国々から環境や生物多様性の大切さを知る、食品の質と安全性に根ざした5000人の食の生産者とその流通モデルを実現した代表が集まり自らの経験や考えを話し合う場でありました。その会議には日本からも60人の生産者が参加し、その中で4人が日本代表者として、発表、講演をしました。その4人の代表の一人として私も参加しました。
1・スローフードとは?
 まず、スローフードという考えはピエモンテ州の片田舎のブラという小さい町で生まれました。ファーストフード文化により、食文化の伝承、また実際の味覚の部分を失った人々に対し脅威を感じたカルロ・ペットリーニ氏(現スローフード協会会長)が1986年7月に設立したNPOの一つです。食における「喜び」「知識」のみを考えるのではなく、世界の食料問題にまで踏み込んだ食に関する哲学なのです。全世界に1200の支部があり、会員数は約8万人を有します。日本にも30もの支部があり、約2200人の会員がいます。
 スローフード協会の基本的プロジェクトに「味の方舟」とプレジヂィオ計画があります。その内容は、大量流通と過度の衛生基準、インスタント食品氾濫による環境破壊という洪水から質の高い小規模の農産物を守り、砦(プレジヂィオ)となるとても重要な活動です。
 遺伝子組換食品の根絶、飢餓に苦しむ国々への農業指導など活動は多岐です。これらのことより、スローフード運動は今後の食活動の中心になることでしょう。

2・テッラ・マードレ(母なる大地)
 10月20日ー10月23日の4日間行われた、生産者会議では色々なワークショップが発表されました。
 一日目の開会式では、まず生産者が懸念している大テーマである、食物多様性、飢餓、貧困、水、持続性、伝統技術、有機農法、女性の役割、他方経済発展と闘争回避、その他多数の議題についての講演がイタリアの行政の代表、スローフード協会の代表が行いました。
 二日目、三日目は生産者の代表がワークショップを持ちその中で私も「塩と健康」について講演しました。その際には4カ国語の通訳がつき数多くの方々が熱心に聴講していました。
講演内容別紙
 講演後多数の質問を頂、多少なりとも塩への理解を深めてもらったと感じました。また、質問の数からも食のなかでも塩への関心がかなり深いものと感じました。
 しかし、世界中、塩への認識が薄いことも実感しました。

3・スローフード会議で感じた事
 世界130カ国から集まる生産者の約半数以上は発展途上国からの参加でした。
 その参加者の費用はすべてスローフード協会、またそのスポンサー、行政機関によりまかなわれました。先進国に対しても、イタリアでの滞在費はすべてまかなわれました。
 また旅費、宿泊費以外で、会議自体にかかった費用も莫大なものでしょう。しかし、現在行きている、生物(人間を含む)だけでなく、未来の生物のために対しても行われたこの会議は、今後の食問題を明るくする第一歩になることでしょう。
 会議の中の壁に次のようなことばが約10カ国語で書かれていました。

地球の苦しみは、すべての創造物の苦しみである。飢餓は、つまり食べ物が枯渇すると言う苦しみは、それを支える地球の苦しみである。私達は地球と切り離せない存在なのである。何故なら我々は皆その子宮から生まれたものであるから・・・。食べ物が枯渇すれば思考は傾き始める。それは我々の中の動物的思考が死を逃れるために行動するからである。
ピエール・ラビ 1996 地球の言葉

 あまり哲学的に食を語るのは好きではないが、食は生命の根源である。その食は地球から生まれる。地球に環境破壊、環境汚染などの負担をかけることが悪いのは当然であるが、遺伝子組換食品などはある意味、神への冒涜であると思う。
 今年、日本には多くの台風だけではなく、大きい地震による凄まじい被害もあった。それは、人的被害だけでなく、作物や家畜、つまり食に対しての被害も大きかった。
 天災というより人災である。都市部に限らず、地方でも化石燃料の消費がおおくなり、地球温暖化の原因になっている。それにより大気が不安定になり台風が異常発生する。また、ダム建設、無意味な土地改良、過度な埋め立て工事により、地盤がゆるみ地震の被害が倍増する。我々一人ひとりの力は小さいが、一人一人が僅かな部分でも意識することが重要である。スローフードということからはずれたようだが、「消えつつある郷土料理や質の高い生産者、食品を守る。」というスローフードの指針の根本はそう言う地球を守ることから始まると思う。

4・スローフードと塩
 スローフード会議で講演し、そこで質問を受ける中、世界中の塩に関する知識が、まだまだ薄いことを感じました。そして、いままでの塩への取り組み(研究)が間違えでないことを実感しました。他の製塩業者の講演内容からも私が今後、塩を通してやらなければならないことを気づかせてもらいました。
 他の製塩業者の講演は大部分が、自然であれば良い、ミネラル分があれば良い等、ただ漠然とした内容がほとんどでした、製塩において自然であれば良いのならそんな簡単なことはありません。自然の中に人間が培った技術と知識の蓄積を織り交ぜ、そこに職人の手が加わることが大切です。また、ミネラル分に関しても、ただ含まれていれば良いものではなく、バランスとミネラル分の比率が大切です。最近取りざたされているにがにもナトリウム分とマグネシウム分の比率が大切です。マグネシウム分の量よりナトリウム分の量が多くなれば、それは効果的にもかなりおちます。
 こういった知識を製塩者はもとより消費者も得ることにより、良い塩、そうでない塩の見分けがつき選択の段階で活用することができます。
 そもそも、私が塩の研究を始めるきっかけになったのは、故武者宗一郎氏(元大阪府立大学名誉教授 理学博士)・故牛尾盛康氏(医学博士)・故谷克彦氏(自然海塩研究家)、という3人の学者との出会いからでした。特に谷氏とは何度も試行錯誤しながら塩作りをしました。塩作りをはじめた理由は一つの塩に対する疑問からです。日本の製塩法は従来、塩田で濃縮した海水を釜で炊き上げるやりかたでした。時代とともに揚げ浜塩田、入浜塩田、流下式塩田など濃縮法は変わりましたが、基本的な考えは変わっていませんでした。しかし1973年に国は「塩業近代化臨時措置法」により日本中のすべての塩田を閉鎖してしまいました。それによりイオン交換樹脂膜製法という作り方で作る塩が国内のほとんどの地域に流通しました。その塩はミネラル分を夾雑物としてしまった、塩化ナトリウム分が99.6%の高純度のものになりました。化学塩の食用化は日本が世界でも初めてであり、公社は安全性の確認もないままに流通させたにも関わらず、その塩は安心、安全そして清潔と説明しました。そのことに疑問をもった学者と私は健康と塩と言う観点から研究を続けました。それはまさに国が大量流通と過度の衛生基準のみをたてに日本の伝統食品を抹殺してしまったということにほかありません。生物の多様性を無視したのです。それらの部分を守りぬくということが私のスローフードの原点でした。そして塩のスローフードの原点です。
 今となって考えると日本にそのような法律と化学塩を食用化することがなければ、このような研究や自然塩に対する思いも薄かったと思います。しかし、個人としては小さく活動するのにも、勇気がいることですが、一人一人が意識し考え行動することが今後のスローフード運動を守り立て、それにより食の安全、楽しさ、また食料問題を解決させる糸口になるとおもいます。塩を通し培った、今までの経験や技術、考えの積み重ねを私のスローフードの原点として伝えていくことは使命であり、研究をともにした3人の学者に対しての御礼になると考えています。

大会プログラム
スローフード会長挨拶
農林制作局大臣挨拶
トリノ市長挨拶
ピエモンテ州知事
小渡幸信講演内容
イタリア紀行記
スナップ写真集
「味の味」にエッセイ掲載
 
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